夜は何時までだと思う?

徒然なるままに

「白」

 

約6年間のジャニオタ人生が終了した。6という数字は人生において長いのか短いのか分からないけれど、少なくともジャニオタとして生きてきたこの年月は人生の中で色濃く最も鮮やかだったかも知れない。今まで、お金も時間も全て自担のためだけに費やしてきた。友人との付き合いもほぼそっちのけで、まず第一に自担だった。自担である(あった)松村北斗の事が本当に大好きで、大好きだったし、私は、一生この人のファンでいるだろうなと確信するくらいに。初めて好きになったジャニーズJr.が松村北斗だった。あれは2012年の冬の事で、キッカケは『私立バカレア高校』という映画だった。スクリーンに映る彼を見て、はっとした。何かがピンときて、まるで電撃が走るような感覚だった。初めて見たとき「この人は天てれとかに出てそう」なんて思ったことを思い出して、懐かしく思う。第一印象はそんな感じで、終始頭から松村北斗の事が離れなかった。その日家に帰ってすぐ母親に伝えた。

「今日、映画を観に行って凄くかっこいい人がいたんだよ。松村北斗くんっていうんだ」

'' 松村北斗 '' という名前は珍しいと思う。聞き慣れない名前だった。北斗くん、ほっくん、ほっくー、色々なニックネームがあって可愛いなと思った。ほっくんなんて呼んでいた頃もこれまた懐かしい。それ以来、松村北斗とバカレアにどハマりした私は映画のBlu-rayまで購入した。最初は「どうせすぐ飽きるからやめなさい」なんて母親に止められたけれど「いや飽きない」と断言し、一日中しかも毎日のようにバカレアを観ていた。同じ映画を何度も何度も観ては、松村北斗が益々大好きになった。クールな印象の役柄という事もあってか、松村北斗がジャニーズJr.と知った時は割と驚いた。だからこそ、アイドルである彼の姿にギャップを感じ、確信した。「この人だ。間違いない」と。完全に恋だった。

 

それから2年ほど経ち、2014年4月。『ガムシャラ!』というジャニーズJr.の番組がスタートした。それと同時に番組連動企画として、EXシアター六本木にて、ジャニーズJr.に会えるコンサート『ガムシャラ J's Party!』が始動した。毎月開催され、メンバーも月毎に変わる構成。当時、中々ジャニーズJr.に会える機会がなかったため、ファンにとっては何より嬉しかった。

そして、2014年の5月公演で私は生まれて初めて松村北斗を見た。人生で初めてのコンサートだった。ステージ上の彼の姿を今でも鮮明に覚えている。声を聞いた瞬間 涙が溢れて止まらなかった。拭いても拭いても溢れてくる涙。松村北斗って本当にいるんだなと、心から感動した。バルコニーにも来て、凄く凄く近かった。松村北斗の姿がよく見えて、また涙が溢れた。

それからコンサートには何度も足を運んだし、出待ちもしたし、何公演も積んだ。完全なる追っかけになっていた。出待ちとかその辺りはほぼグレーゾーンだけれど、目的のためなら手段選ばず主義だったためとことん暴れまくってやりたい放題だった。本当はいけないけれど、欲望のままに動いていた。松村北斗が出演しているドラマのBlu-rayは全て購入したし、写真だって何枚も購入した。しかも全て5枚ずつ。恐らく数百は超えていると思う。一度、大阪限定で販売された公式写真もわざわざ代行を頼んだ。今思うと、なぜ5枚ずつ購入する事に拘っていたのかは謎。

 

 

松村北斗の言葉は正直凄く好き。2015年の松村北斗なんてとにかく最高だ。

 

 

「自分が努力した分、同じ分だけ結果が返ってくるわけではないけど、それでも良かった」

 

「気持ち切らすなって!失敗したって顔すんなって前にも俺言ったじゃん。だったらもっと声出したり煽ったりさ、そこまでしないと絶対パフォーマンスじゃないと思う」

 

「体でやる競技ですけど、今日は心を大事にして、今日は色んな人も、先生も駆けつけてくれたりとか、ほんと他のメンバーへの感謝の気持ちもあるしファンのみんなへの感謝の気持ちもあるし、色んな気持ちで戦えたから凄い満足してます」

 

 

 

自分で思い出せる範囲だけれど、松村北斗の言葉はいつもいつも重みがあって無駄がなくて、秀逸で、宝物のようだった。先見の明があって、信じられる存在だった。私はいつも松村北斗を目標にして、松村北斗のような人間になりたいと尊敬していた。2015年といえば、SixTONESが結成された年でもある。それまでは「バカレア組」と呼ばれていた彼らに、やっと正式なグループ名が付けられたのだ。もう曖昧なものではない。確証的なものに変わった。彼らの存在は確かだった。この先何があろうと6人が離れる事は無いと信じられる事ができた。何より、松村北斗に居場所ができて、幸せだった。

 

けれど、今はもうその感情全てが嘘のように消えた。人としては本当に素晴らしいと思う。でももうファンを続ける事は出来なかった。何度かオタ卒を考える事もあっだけれど、その度に挫けた。忘れようとすればするほど、人は忘れられないという。それはそうだ。忘れようとしている最中でさえ、忘れようとしている人の事を考えているのだから。

 

結局のところ、私は松村北斗のファンをやめた。今まで彼を追いかけ応援し続けてきた日々は一体何だったのだろうと、過去の記憶に縋ってみたりした。途端に悲しくなった。虚しかった。時間もお金も決して返っては来ない。ジャニオタだった頃、楽しい事ばかりではなかったし、辛い事もあった。好きを拗らせすぎて同担拒否にもなった。

 

ただ、私が今まで松村北斗を応援してきた事は、綺麗なままで、思い出として心の奥底にしまっておきたいと思う。もう、松村北斗に宛てた手紙を書く事は無いと思うと、寂しいけれど。